第 1 章  Value Semantics

Value Semantics を持たない型の問題と対処法

Value Semantics とは何かわかったところで、次に、 Value Semantics を持っていると何がうれしいのかを見て行きましょう。

Value Semantics を持たない型が起こしがちな問題

Value Semantics の利点を知るために、 Value Semantics を持たない型がどのような問題を引き起こすのかを見てみます。ここでは、 Value Semantics を持たない型が起こしがちな問題の例として次の二つを取り上げます。

意図しない変更の例

あるサービスのアイテムを考えます。アイテムというのは、たとえば、そのサービスがフォトアプリなら写真、メモアプリなら個々のメモです。

今、アイテムが次のような Item クラスで表されているとします。

class Item {
    var name: String
    ...
    var settings: Settings
}

settings はアイテムの設定を表すプロパティです。 Settings は次のようなクラスです。

class Settings {
    var isPublic: Bool
    ...
}

isPublic は、このアイテムが公開されているかを表すプロパティです。

この Settings クラスは Value Semantics を持たず Reference Semantics だけを持っています。このとき、どのような問題が起こり得るかを見てみましょう。

アイテムの複製は様々なアプリでよく行われる処理です。上記の Item クラスを使ってそれを実装するコードを考えてみます。今、 Item 型のインスタンスが変数 item に格納されているとして、複製の処理を次のように書いたとします。

let item: Item = ...

let duplicated: Item = Item(
    name: item.name,
    ...
    settings: item.settings
)

複製されたアイテムは定数 duplicated に格納されます。このとき、複製されたアイテムを公開するために次のようなコードを書くと何が起こるでしょうか。

duplicated.settings.isPublic = true

今、 Settings クラスは Reference Semantics を持っているので、この変更はオリジナルの itemsettings にも波及します。複製されたアイテムだけを公開したかったのに、オリジナルも公開されてしまいました。これは意図しない挙動で、望ましいものではありません。原因は、 Item インスタンスを複製するときに Settings インスタンスも複製しないといけなかった( ディープコピー しなければならなかった)のに、 シャローコピー してしまったことです。

Value Semantics を持たないと、ちょっとしたコーディング時のミスや設計時の考慮漏れによってこのような問題を引き起こしがちです。

整合性の破壊の例

次に、整合性の破壊の例を見てみます。

姓( familyName )と名( firstName )を持ったシンプルな Person クラスを考えてみます。

class Person {
    var firstName: String
    var familyName: String
}

姓と名を連結してフルネームを返すのはよくある処理なので、この Person クラスに fullName プロパティを追加します。 fullNameComputed Property で、ただ firstNamefamilyName を連結して返すだけです。

class Person {
    var firstName: String
    var familyName: String
    var fullName: String { // 👈
        "\(firstName) \(familyName)"
    }
}

しかし、 fullName にアクセスする度に新しい文字列を生成するのは無駄です。そこで、最初に fullName にアクセスされたときに生成された文字列をキャッシュしておいて、二度目以降はその文字列を返すことにします。たとえば、次のようなコードで実装できます。

private var _fullName: String? // キャッシュ
var fullName: String {
    if let fullName = _fullName {
        return fullName
    }
    _fullName = "\(firstName) \(familyName)"
    return _fullName!
}

また、 firstNamefamilyName が変更されたときにキャッシュとの整合性が崩れてしまうので、 firstNamefamilyName が変更されたときにはキャッシュを破棄するようにします。

var firstName: String {
    didSet { _fullName = nil }
}

var familyName: String {
    didSet { _fullName = nil }
}

これで、 Person クラスのキャッシュは適切に機能するようになりました。

さて、このとき次のような処理を考えてみます。

let person: Person = Person(
    firstName: "Taylor",
    familyName: "Swift"
)

var familyName: String = person.familyName
familyName.append("y")

このとき、変数 familyName に格納されるのは String インスタンスで、 StringValue Semantics を持つ struct です。変更に対して独立なので、 append による変更は person.familyName に影響を影響を与えません。この処理の後には、変数 familyName の値は "Swifty" になりますが、 person.familyName の値は "Swift" のままです。

しかし、もし仮に StringReference Semantics を持ったクラスだったらどうなるか考えてみましょう( append メソッドは自身の状態を変更するので、このとき Stringミュータブルクラス となり Value Semantics を持ちません)。

StringReference Semantics を持っていたら、変数 familyNameperson.familyName は同じ String インスタンスを共有することになります。そのため、 familyName.append("y") の結果、変数 familyName の値も person.familyName の値も "Swifty" に書き換えられます。これ自体は一概に悪いこととは言えません。

問題になるのは、 fullName のキャッシュが存在する場合です。もし、 fullName のキャッシュとして "Taylor Swift" という文字列が保存されているとどうなるでしょうか。 familyName"Swifty" に更新されたのに fullNameTaylor Swift のままということになってしまいます。

print(person.fullName)   // "Taylor Swift"

var familyName: String = person.familyName
familyName.append("y")

print(person.familyName) // "Swifty"
print(person.fullName)   // "Taylor Swift" 😵

Person インスタンスの状態の整合性が破壊されてしまいました。状態変更時にはキャッシュをクリアするように設計したのに、何が問題だったのでしょうか。

person.familyName を直接 "Swifty" に更新する場合は、キャッシュが適切にクリアされて問題は起こりません。

print(person.fullName)   // "Taylor Swift"

person.familyName = "Swifty"

print(person.familyName) // "Swifty"
print(person.fullName)   // "Taylor Swifty" 😄

問題が起こった原因は、 firstName プロパティや familyName プロパティなどの Person の API を使わずに、 String のメソッドを介して間接的に内部状態が変更されるという想定しない変更のパスが存在したことです。 Reference Semantics はそのようなパスを作りやすいので、設計時にそれを見落とすと、この例のように内部的な整合性が破壊されてしまうことがあります。

問題への対処法

このような問題は、特に 参照型 中心の言語ではよく起こるので、様々な対処法が考えられています。よく取られる対処法として次の三つがあります。

Swift は 参照型 中心ではなく 値型 中心の言語です。上記とは異なり、 値型 を用いることで問題に対処しています。

ここでは、 イミュータブルクラス値型 について取り上げて比較し、 値型 の優位性を見てみます。

イミュータブルクラス

前に見たように イミュータブルクラスValue Semantics を持ちます。そのため、 イミュータブルクラス の導入は、 Value Semantics を持たない型が起こす問題を直接的に解決できます。しかし、 イミュータブルクラス も万能ではなく、別の問題を引き起こします。それらを順に見てましょう。

イミュータブルクラスによる問題の解決

まずは、先の二つの問題が イミュータブルクラス によってどのように解決されるのかを見てみます。

一つ目は「意図しない変更」の例です。 Settings クラスが イミュータブルクラス なら、複製されたアイテムの isPublic プロパティを変更しようとするコードはコンパイルエラーになり、意図しない変更が防止できます。

let duplicated: Item = Item(
    name: item.name,
    ...
    settings: item.settings
)

duplicated.settings.isPublic = true // ⛔

Settings クラスは イミュータブル なので、 isPublic プロパティを変更することはできません。変更するためには、 isPublictrue である新たな Settings インスタンスを生成し、 duplicated.settings に代入する必要があります。

duplicated.settings = Settings(isPublic: true, ...)

この場合、 duplicated.settings に代入されるのはまったく新しい Settings インスタンスです。 item.settings と共有された Settings インスタンスを変更したわけではないので、 item.settings に影響を与えることはありません。

同じように、「整合性の破壊」の例も イミュータブルクラス によって解決されます。

var familyName: String = person.familyName
familyName.append("y") // ⛔

今、 Stringイミュータブルクラス だとすると、自身の状態を変更する append メソッドを持つことはできません。よって、 append メソッドを介して Person インスタンスの内部状態が変更され、整合性が破壊されることもありません。

実際、 Java や Kotlin など、参照型中心の言語の多くでは Stringイミュータブルクラス として実装されています。それは、ここで挙げたような問題を防止するためです。 Foundation の NSString クラスのインスタンスも イミュータブル ですが、残念ながら NSString には NSMutableString というサブクラスが存在します。 NSString 型としては イミュータブル にならないので、 NSMutableString を使って上記のような問題を引き起こすことができます。

イミュータブルクラスによって引き起こされる問題

イミュータブルクラス で問題が解決できるなら何でも イミュータブルクラス にすれば良いかというと、そう簡単な話ではありません。 イミュータブルクラス は変更が容易でないという別の問題を引き起こします。例を見てみましょう。

何らかのサービスのユーザーが User クラスで表されるとします。ユーザーはそのサービスで利用できるポイントを持っており、 User クラスの points プロパティで表されます。

// ミュータブルクラスの場合
class User {
    let id: Int
    var name: String
    ...
    var points: Int
    ...
}

このように Userミュータブルクラス なら、ユーザーに 100 ポイント付与するコードは次のように簡潔に書けます。

// ミュータブルクラスの場合
let user: User = ...

user.points += 100

しかし、 Userイミュータブルクラス だとこのように簡単にはいきません。

// イミュータブルクラスの場合
final class User {
    let id: Int
    let name: String
    ...
    let points: Int
    ...
}

イミュータブルクラス のインスタンスの状態を変更することはできないので、 100 ポイント付与したくても User インスタンスの points だけを増やすことはできません。状態を変更するためには、 points 以外はまったく同じで points だけが 100 増えた新しい User インスタンスを生成し、変数 user の値をその新しいインスタンスに差し替える必要があります。

// イミュータブルクラスの場合
var user: User = ...

user = User(
    id: user.id,
    name: user.name,
    ...
    points: user.points + 100,
    ...
)

これは、コードとしても複雑ですし、たった一つのプロパティを更新するためだけにインスタンスを丸ごと作り直す必要があるのでパフォーマンスもよくありません。

参照型 中心の言語の中には、コードの複雑さを軽減するための特殊な構文や言語仕様を提供しているものもあります。たとえば、 Kotlin の data class を使えば copy メソッドが自動生成され、目的のプロパティだけを変更した新しいインスタンスを生成することができます。

// Kotlin
// イミュータブルクラスの場合
var user: User = ...

user = user.copy(points = user.points + 100)

しかし、それでもミュータブルクラスの場合と比べると複雑ですし、ネストしたプロパティを更新しようとするとさらに大変です。

// Kotlin
// ミュータブルクラスの場合
group.owner.points += 100
// Kotlin
// イミュータブルクラスの場合
group = group.copy(
    owenr = group.owner.copy(
        points = group.owner.points + 100
    )
)

このように、 イミュータブルクラス を用いると ミュータブルクラス と比べて状態の変更が複雑です。 イミュータブルクラスValue Semantics を持たないことに起因する問題を解決してくれますが、状態の変更が複雑になるため、すべてを イミュータブル にすると利益が不利益に見合わないことが多いです。そのため、 参照型 中心の言語では ミュータブルクラスイミュータブルクラス を利益のバランスを取って適切に使い分ける必要があります。

値型

前述のように、 Swift は イミュータブルクラス ではなく 値型 によって問題の解決を図ります。 値型 であれば簡単に Value Semantics を持たせることができます。 Value Semantics を持たせるという意味では、 イミュータブルクラス と同じ方向性を持った対処法です。

「意図しない変更」の例は、 SettingsValue Semantics を持った struct であれば何の問題も起こりません。

// 値型の場合
let duplicated: Item = item // 複製
duplicated.settings.isPublic = true // item.settings.isPublic は変更されない😄

「整合性の破壊」の例についても、変数 familyName に対する変更は person には何の影響も及ぼさないため、整合性が破壊されることもありません。

// 値型の場合
print(person.fullName)   // "Taylor Swift"

var familyName: String = person.familyName
familyName.append("y")

print(person.familyName) // "Swift"
print(person.fullName)   // "Taylor Swift"

加えて、 値型 には、 ミュータブルクラス のように変更が容易であるという特徴があります。先の User にポイントを付与するコードも、 Userstruct なら次のように書けます。

// 値型の場合
struct User {
    let id: Int
    var name: String
    ...
    var points: Int
    ...
}
// 値型の場合
var user: User = ...

user.points += 100

user.points += 100 というのは ミュータブルクラス におけるコードと全く同じです。しかも、この UserValue Semantics も持っています。

つまり、 値型ミュータブルクラス の持つ変更の容易さと、 イミュータブルクラス の持つ Value Semantics のいいとこ取りをしたような存在だと考えられる わけです。

Swift の標準ライブラリで提供される型は、ほぼすべてが 値型 です。次に挙げるぱっと思い付くような型は全部 値型 です。

もちろん、ここで挙げたすべての型が Value Semantics を持っています(ただし、型パラメータを持つ型は、型パラメータに Value Semantics を持つ型が指定された場合のみ Value Semantics を持ちます)。

まとめ

Value Semantics を持たない型は、「意図しない変更」や「整合性の破壊」などの問題を引き起こしがちです。それに対処するために、 防御的コピーRead-only Viewイミュータブルクラス の使用など方法が考えられてきました。しかし、それらには一長一短があり、たとえば イミュータブルクラス には変更が容易でないという問題があります。

値型 を使えば簡単に Value Semantics を実現でき、変更も容易です。 値型 は、 ミュータブルクラスイミュータブルクラス のいいとこ取りをしたような存在だと言えます。 Swift の標準ライブラリの型はほぼすべてが Value Semantics を持つ 値型 であり、問題の回避と変更の容易さを両立できます。